【鏡餅化:SS付き(TF:Kagami Mochi &One shot story)】

<概要>

新年あけましておめでとうございます。

今年から始める新しい企画のひとつを、これから4日間公開していきます。


本日は、元旦と言うことで、MOB-001:一条さんです。


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<本編:鏡餅化>

大手企業グリム&エステートの年末は、街のカウントダウンよりも早く、冷たく始まる。12月31日。エントランスのガラス越しに見える空はまだ白く、床の大理石は磨かれすぎて、天井照明の光まで吸い込んだように静かだった。


 一条高嶺は、その静けさを割るようにヒールを鳴らして歩いた。タイトなスーツの肩で風を押し返すような姿勢。胸元のボタンはきっちり留めているはずなのに、布地は彼女の自信そのものみたいに張り、隙のなさを誇示している。紫の髪は耳の後ろに流され、細いフレームの眼鏡の奥で、目だけが忙しなく数字を追っていた。


「……おはようございます」


 受付の若い社員が頭を下げる。高嶺は、ほんの一ミリだけ口角を上げた。にこり、と言えるほど温度はない。だが、それで十分だと彼女は知っている。


「ええ。おはよう」


 返事は丁寧だが、柔らかくはない。エレベーターの鏡面に映る自分の姿に、彼女は一瞬だけ満足する。背筋、顎の角度、眼鏡の位置、スーツの皺――全部、管理できる。管理できないものなど、自分にはあるべきではない。


 フロアに着き、自分のデスクに座った。年末特有の空気が漂っていた。机の上に積まれた書類、社員たちの無言の焦り、消し忘れた暖房の乾いた匂い。普段より人は少ない。だからこそ、遅れてきた者の足音は目立つ。


「おはようございま――」


「遅い」


 挨拶の途中で切り捨てる。高嶺は振り向きもせず、デスクのモニターを点けた。


「今日は大晦日よ。定時で帰りたいなら、昨日までに片づけておくべきだったわね。……資料、出して。今すぐ」


 若手の社員が、慌ててファイルを差し出す。手が震えているのが分かる。高嶺はその震えを、本人の資質だと断じるのに迷いがなかった。受け取った資料を手際よく読み込む。


「……ここ、また誤字。それに数字の桁も合ってない。昨日“再度確認します”って言ったわよね?」


「す、すみません、すぐ直します」


すぐ じゃ遅いの。あなたがすぐと言った瞬間から、もう他人の時間を奪っているの。……理解できる?」


「…」


 言葉は理路整然としている。だから、反論は難しい。部下は小さく頭を下げて散り、フロアに再びキーボードの音だけが落ちる。


 高嶺は満足げに鼻を鳴らした。これでもまぁまぁ優秀なチームだ。自分が鍛え上げた。――いや、正確には“鍛え上げている途中”だ。ダメな者を切り捨て、使える者を残す。上に立つものの役目とはそういうものだ。


 今年、よく足を引っ張っていた部下が休職し、出勤しなくなった。それは幸運だった。毎日のようにミスをして、こちらがフォローしてやっても泣いてばかり。指導すれば「怖い」と言い、注意すれば「パワハラ」と言う。そういう人間は私のチームに居場所を作ってはいけない。


 代わりに入ってきた新人は、目を見張るほど優秀だった。報連相が早く、修正が速い。チームの数字が上がったのは、当然の結果である。自分のマネジメントが正しかった証明だ。


 ――そのはずだった。


 昼過ぎ、メール通知が一件鳴る。送り主の名前を見た瞬間、胃の奥がひやりとした。

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 取締役 三郷サクラ

 件名:本日17:30 緊急の面談あり

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 短い文面。

 だが、そこに添えられた「必ず来るように」という一行が、命令だと分かる。


(……こんな忙しい大晦日に……何だって言うの?)


 心の中で吐き捨てながら、高嶺は表情を変えない。モニターの光に照らされた顔は、いつも通り冷静だ。口元に作る微笑みも、角度まで計算できる。


 時間が近づくにつれ、フロアは少しずつ静かになった。帰省する者、家族と過ごす者、年越しの約束がある者。高嶺にだって、本当は早く帰りたい。だが、それを顔に出すのは敗北である。


 17時30分。最上階の会議室。ドアをノックすると、「入って」と落ち着いた声が返る。


 中には、サクラがひとり座っていた。褐色の肌に、異国の太陽を閉じ込めたような温度がある。白い髪は柔らかく肩に落ち、瞳は紫がかった色で、感情の揺れをあまり表に出さない。しかし頼もしい武勇伝がいくつもあり、社員の間では姉御と呼ばれているとか。


「大晦日に呼び出して悪いね、高嶺」


「いえ。必要とあらば、いつでも」


 高嶺はにこやかに言って、椅子に座る。背筋は真っ直ぐ。足は揃え、鞄は膝の横。完璧な“仕事のできる女”の所作である。


 サクラは、湯呑みを二つ置いた。湯気が立つ。お茶の香りが静かに広がる。


「最近の仕事ぶりはどうだい。順調か?」


「はい。チームの数字も改善しています。プロジェクトの遅延も解消しました」


「そう。……それは良かった」


 サクラは頷く。だが、そこに褒める温度はない。湯呑みの縁に指を添えたまま、彼女は少しだけ視線を下げる。


「じゃあ質問を変えようか。――今、君のチームがなぜ順調に見えているのか、分かっているか?」


 高嶺の笑みが、ほんの僅かに固まる。


「……そ、それは……ど、どういう意味でしょう」


 サクラは書類を一枚、滑らせるように差し出した。高嶺が目を落とす。そこには、社内アンケートと、匿名のヒアリング記録の要旨がまとめられていた。


 “上司の指示が曖昧で、現場で修正が必要になる”

 “ミスの責任が一方的に押し付けられる”

 “人格否定に近い言い方をされる”


 高嶺は、紙をめくる指先に力が入るのを感じた。


「……えっ……こ、これは、どこの部署の――」


「もちろん、君の部署だよ」


 サクラの声は平坦である。怒っていないように聞こえる。だからこそ、逃げ道が塞がれる。


「あぁ、それと。先日休職したあの部下が、正式に申し立てをしてきてね。パワハラの件だ。弁護士も付いている」


 高嶺の喉が鳴った。だが、彼女はまだ崩れない。崩れてはいけない。


「それは……その……彼女が、被害者意識が人一倍強いだけです。私の指導は――」


「指導……ね」


 サクラは、別の資料を出した。メールのログの抜粋、チャットの記録、工数表の修正履歴。


「優秀な新人が入って、数字が上がった。君はそれを自分の手柄として報告した。

 でも、この修正履歴を見るとね、君の指示の後に、彼女が独断で修正してる。しかも、君に報告せず、君のメンツを潰さない形で」


「え……っ」


 高嶺は、呼吸が浅くなるのを必死で抑えた。


「……これは、何かの間違いで――」


「間違い? 違うなぁ。今回の君の指示が的外れ、もしくは抽象的だったから、現場で止めたんだ。君の指示通りに動いた部下が足を引っ張ったっと言われて、責められるのを見て、彼女は独断で修正したんだよ」


 サクラは、ゆっくりと言葉を落とす。


「そうなると、足を引っ張っていたのは誰だろう。休職した部下か?……違う。そう思わないかい?」


 会議室の空気が、ひゅうと冷える。湯呑みの湯気だけが、のんびりと上に昇っていく。


 高嶺は、笑みを保とうとした。だが、頬が引きつる。眼鏡の奥の瞳が、焦りで揺れた。


「……で、ですが……結果として、うまくいっているのなら、問題は――」


「優先すべきは“結果”だけじゃない。君のやり方で、人が壊れてる」


 サクラは視線を上げ、高嶺を真正面から見た。


「君は頭がいい。自分に与えられた仕事 は 難なくこなせてしまう。だから、失敗が怖い。君が怖いと感じる想定外が起きたとき、君は必ず誰かを盾にする。自分は間違ってないって、証明するためにね」


 高嶺の口が開く。だが、言葉が出ない。胸の奥で何かが崩れる音がする。自分の中で築き上げたものが、足元から剥がされていく感覚。


「私は……私は、会社のために――」


「会社のため、ねぇ…」


 サクラはため息をついた、しかし、声は柔らかくもなった。


「大事にはしない。ここで表沙汰にして君を切って、部署を混乱させるのは得策じゃない。ただし、条件がある」


 高嶺は反射的に食いつく。


「……条件?」


「この会社は、普通の会社じゃなくてね」


 サクラは、湯呑みを置き、一枚の紙を取り出した。和紙のような質感。印の朱が、妙に鮮やかだ。


「一年で何かやらかした社員は、正月の“禊”を受ける。目立たない形で、会社の厄を引き受ける。外に漏らさず、内で片をつける。……私の故郷にもある古い慣習だよ」


 高嶺は笑いそうになった。これは冗談だと断じたい。だが、サクラの目は冗談を許さない。


「君に、あることをしてもらえれば、この件は不問にする」


 紙の上には、簡単な文言があった。禊の承諾。守秘。異議申し立ての放棄。

 ――そして、朱印を押す欄。


 高嶺の指先が冷たくなる。


「……具体的に何をすれば?」

「お餅だ」


「そうですか、やはりお餅なんですね…

 えっ、、お餅……も、もも、餅ですか……?」


「あぁ、餅だよ。

 毎年社の入口に飾る鏡餅だ。君がなるんだよ。餅に」

「???」


 高嶺は、背筋に汗が滲むのを感じた。ばかばかしい。そんなこと、あるはずがない。だが、ここで拒めば――。


(パワハラで訴えられれば終わる。全部終わる。輝かしいキャリアも、立場も、私が築いてきたすべてが)


 高嶺は唇を噛んだ。理屈ではない。恐怖である。意味不明なこの懲罰に思考を割く余裕もないほど、今は自分の立場を守りたかった。


「……分かりました。承諾します」


 声は震えていたが、言葉は出た。サクラは、静かに朱肉を差し出す。


「押して」


 高嶺は朱印を押す。紙に赤が滲む。――その瞬間、ほんの一拍だけ、世界の音が遠のいた。


「痛みはないよ。……さあ、委ねて」


 サクラの言葉が、遠くなっていく気がした。指先がじわりと熱く、次の瞬間には冷たくなる。骨の確かな感触が薄れ、代わりに柔らかな密度が手首から腕へと広がっていく。肌が白くなっていくのが見えるのに、声が出ない。喉が、内側からふさがっていく。


(あぁ…、溶け…てる…?私…)



 高嶺は立ち上がろうとした。だが足が動かない。床との境目が曖昧になり、スーツの中の皮膚が溶けるように沈んでいく。身体が、押し固められるような圧で、上から下へ、形を失っていく。


 視界が揺れた。眼鏡がずれる。落ちる――落ちた。小さな音が、やけに大きく響いた。


 サクラの声が、霧の向こうから聞こえる。


「いい。……この…なら姉さんたちも…」


 白い、甘い匂いがした。米の匂いだ。呼吸しているのかも曖昧なまま、意識だけが、柔らかい餅の中に押し込められていく。


◇ ◇ ◇


 年が明けてしばらく。


 新年初出勤の朝。グリム&エステートのエントランスは、いつもより明るい。正月用の飾りが追加され、白い紙垂が揺れ、松の緑がガラスに映える。社員たちは初詣帰りのような顔で出社し、どこか浮ついた声で挨拶を交わした。


「ども、あけましておめで――うわ、でっかい鏡餅!」


 入口の正面に、堂々と鎮座する鏡餅。三段重ねの肌色の餅に、橙と飾り紐。妙に立派で、やけに生々しい艶がある。


「でけぇ……なんか、顔みたいなの付いてないっすか?」


「本当だ。ほら、ここ……目みたいに見える」




 誰かが近づく。スマホが持ち上がる。レンズが、表面に向けられる。


 鏡餅の最上段、その正面。そこには、確かに顔があった。うっすらと凹凸があり、顔や髪型を彷彿とさせる跡が残っている。口元は、開いているようにも見える。


 ――見ないでほしい。

 ――撮らないでほしい。


 叫びは、音にならない。鏡餅は声を持たない。ただ、意識だけがある。内部は柔らかく、動かせる筋肉も骨もないのに、感覚だけが残っている。


 冷えた空気が表面を撫でるたび、ぞわりと“肌”が粟立つような錯覚が走る。社員の足音が床を伝い、振動が身体の芯にまで響く。誰かが飾り紐を直すために手を伸ばせば、その指先が触れた場所だけ、妙に熱く感じる。


「まだ柔らかいですね。つきたてから少し経った感じですね」


 指が、表面を軽く押す。ぷに、と沈む。鏡餅の“頬”が押し込まれる。反射的に、恥ずかしさがこみ上げた。顔のある場所を触られる――それがどれほど屈辱か、高嶺は今、身をもって理解していた。


(やめ……っ)


 言えない。動けない。視線だけが、曖昧に世界を捉える。眼鏡もないのに、見えてしまう不思議さ。輪郭は霞んでいるのに、社員たちの表情の“いやらしい興味”だけは妙に鮮明である。


「これ、誰が作ったんだろ。毎年すごいなー」


「しかし……顔っぽいところ、誰かに似てる気がするんだよな……」


「てか、色も肌色っぽいような…、何味なんだろう」


 その瞬間、ロビーの奥から、ゆったりした足音が近づいた。


 サクラである。褐色の肌に、白い髪。いつもと変わらぬ穏やかな顔で、社員たちに軽く手を振る。


「あけましておめでとう。今年もよろしく」


「おめでとうございます!」


 社員たちが頭を下げる。サクラは、鏡餅の前で立ち止まった。まるでそれが予定通りの配置であるかのように、自然な仕草である。


「今年の鏡餅も立派だろう?」


 サクラは笑う。その笑みは優しい。だが、高嶺には分かる。これは優しさではない。会社の秩序を保つための、淡々とした処理だ。


「……取締役、それ、どこで――」


「あぁ、知り合いの神社に手配してもらってね。会社の厄を引き受けてもらったんだ。君たちの一年が、少しでもより良いものになるようにね」


 社員たちは「へえ」と感心した顔をする。サクラはいつも思わせぶりなことを言うので、誰も深く突っ込まない。そして、誰も厄が何なのかを深く考えない。正月飾りは縁起物で、会社は会社で、伝統は伝統。そういう空気が、ロビーに漂う。


 サクラは鏡餅――高嶺の顔のある部分に、そっと手を添えた。掌が、表面を撫でる。ゆっくりと、まるで褒めるように。


 高嶺の意識が、ぞくりと揺れた。触れられる。撫でられる。叱責されるより、ずっと恥ずかしい。身体のどこに当たるのかも曖昧なのに、触れられた場所だけが、妙に敏感になる。


 サクラは、鏡餅の耳元――いや、耳などない。だが、顔の近くに口を寄せ、誰にも聞こえない声量で囁いた。


「ほら。みんなの役に立っている。胸を張りたまえ」


 高嶺は震えた。震えるはずの身体はない。だが、意識が震える。悔しさと羞恥と、どうしようもない恐怖が混ざり合い、頭の中が白くなる。


(こんなの……私じゃない……私が、ここに……)


 社員のひとりが笑いながらスマホを向けた。シャッター音が鳴る。記録される。残される。高嶺は心の中で叫ぶ。


(お願い……やめて……)


 けれど、叫びは餅の中で溶けていく。柔らかく逃げ場のない檻の中で。


 サクラは手を離し、いつも通りの口調で言った。


「さあ、仕事始めだ。正月気分もほどほどにね」


 社員たちが散っていく。ロビーには鏡餅だけが残る。ガラス越しの光が、白い表面に艶を作り、顔の凹凸をいやらしく強調する。


 高嶺は動けないまま、鏡餅として置かれ続ける。


 誰かが通るたび、視線が刺さる。誰かが笑うたび、心が沈む。誰かが飾りを直すたび、触れられる感覚に身がすくむ。


 ――見ないでほしい。

 ――撮らないでほしい。

 ――誰か、助けてほしい。


 その願いだけが、餅の中で、いつまでも形にならずに膨らみ続けていた。


―あけおめ―


挿絵:黒蜂

SS:腹心A

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<あとがき>

ちなみにこのキャラ、見た目はディスコードの雑談で、偶然出来たものですが、性格諸々は腹心Aの前職の上司(男)がモデルになっているらしいです。

※もちろんフィクションで、実在の人物・団体とは関係ありません。








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