アカネゾメ①【小説PDF・翻訳用テキスト】

◆序章  恋愛リアリティショー「今からガチ恋始めます」  その番組中に起こってしまったハプニングは、黒川あかねを追い詰めていた。  本当に、ただ役になりきればいいのであれば簡単だった。  小さな頃から、彼女に憧れ、舞台に上がったあの日から、演劇に没頭してきた。  自分ではない誰かに、何かになるべきなら、それでよかった。  だけど恋愛リアリティショーはそうじゃなかった。  だから、わからなかった。  どうすればいいのかわからなくて、いろいろな人に聞いてまわった。  その結果が――これだった。  期待に応えなければいけなかった。  恋愛リアリティショーという企画では、与えられた役ではなく、演者の素顔を見せる必要がある。  それなのにそのままの黒川あかねなんてものを、視聴者の誰も、制作陣の誰も、求めてはいなかった。  当初向けられていた期待は焦燥を生んで、あかねの中で渦巻いていった。  回を重ねるごとに、焦燥は膨らんでいった。  ネットでの評判はどんどん下がって、ほとんど話題にすらならなくなっていった。  事務所では、マネージャーが社長から叱責されているのも耳にした。それでも、君のせいではないと庇ってくれるマネージャーの優しさが、むしろ痛かった。  何もできない自分が辛かった。  そのせいで周囲に迷惑を掛けているのが苦しかった。  だから、それまで以上に必死に聞いてまわった。  自分に、どんな役が求められているのかを。  なるべきは、当て馬。  心を通わせつつある男女に嫉妬して、その仲を裂こうとする浅ましい泥棒猫。  心の底からそうなっていればよかったのかもしれない。  黒川あかねという個性など捨て去って、完全に演じてしまえばよかったのかもしれない。  そのままの自分と演じるべき役。  そのどちらでもあって、どちらでもない中途半端な自分。  その歪みと焦りが、大切な友達(ゆき)を傷つけた。  撮影を控えたモデルの、大事な顔に疵を作った。  そんな自分にさえも、ゆきは優しく笑って、気にしなくて良いと言ってくれた。  だけど――世間の反応は、ゆきのように優しくはなかった。  SNSにひっきりなしに届く通知は悪罵の群れ。  考えないようにした方が良い。SNSから離れるべきだ。  そんなマネージャーからの言葉も耳には入らなかった。  気付けば自分の名前をネットでで検索していた。  ――最低。  ――死ねば良いのに。  ――いてもいなくても変わらない役立たずのくせに。  そんな、今までに想像もしたことのなかった悪意が、顔もわからない人々から注がれた。  もっと辛くなるとわかっていて、電子の海に潜る。  向けられた悪意は止めどなく膨らんでいき、黒川あかねに対してならば、何を言っても構わないという集団心理すら生みだしていた。  ――黒川あかねは気に入らない相手にはいつもそうしてた。  ――身体を売って男を寝取ってる。  ――ガチ恋にも枕営業で出演した。  根も葉もない誹謗中傷。  だけど、そんな誹謗中傷に対して怒りは沸き上がらなかった。  むしろそれが、自分の犯した罪に対する罰なのだと思っていた。  心が痛い、なんて比喩表現とは違う。  本当に、全身が切り裂かれているように――痛い。  吸い込んだ空気すらも、内側から自分を苛んでいるようで、呼吸するだけで苦しかった。  ――この世界に、私の居場所なんてない。  そう思っていたときのことだった。  ――つらいね。わかるよ。そんなつもりじゃなかったんだよね。  彼が、声をかけてくれたのは。  怒りも、憎悪も、何もかもを受け入れることが自分の犯した行為への贖罪と思い、開いたDMに書かれていたのは、あかねを思いやる優しい言葉だった。  普段のあかねならば、怪しさを感じたのかもしれない。  しかしそのときのあかねに、そんなことを考えるだけの心の余裕などなかった。  縋るように、あかねは男に言葉を返した。  彼の言葉は続いた。  悪意ばかりの電子の海で、彼の言葉だけがあかねを癒してくれた。  そのとき一番欲しい言葉を、彼はあかねに告げてくれた。  顔も、本名も知らない彼と言葉を交わしている間だけ、自分がこの世界にいても良いのだとあかねは思うことができた。  あかねには、他に頼れるものはなかった。  迷惑を掛けた共演者に頼れるわけがない。  心配性な両親に心配をかけられない。  演劇に没頭してきたせいでおろそかにしてきた学校で頼れる友達などいない。それどころか、同級生でしか知らないようなあかねの私生活がネット上で暴露され、悪意を注ぐ器となっていた。  だからこそ、いともたやすく――あかねは男に心酔していった。  ――ねぇ、あかねちゃん。直接会わない?  はじめてのメッセージから、わずか一週間。  彼からのその言葉に、あかねは短く、肯定の意思を返していた。  胸を高鳴らせて。  初恋を抱く少女のように。 ◆一章  その日、あかねは久しぶりに家から出かけた。  ずっと部屋に引きこもっていたわけではないものの、それまでの外出は惰性として、あるいは必要に迫られての外出でしかなかった。  その日は、久しぶりの、あかね自身の意思による外出だった。  暗く沈んだ感情が完全に消えたわけではない。そんな簡単に消したり、忘れたりすることのできる内容であるはずがない。  それでも、あかねはこの日の外出を楽しみにしていた、胸を躍らせていた。  服を選んでいる最中、母親からも、何か良いことでもあったのかと聞かれるほどだったのだから、よほどに上機嫌だったのだろう。  約束よりも三十分以上も早く、あかねは待ち合わせ場所である駅前に到着していた。  同じように待ち合わせをしているのは、皆明らかにカップルだった。名前も知らない、顔さえ見たことのない相手がやってくるのを、あかねはただ待っていた。 「あかねちゃん」  あかねが来てから二十分ほど経った頃、待ち合わせよりも十分ほど早い時間に、その声はかけられた。  トクン、と、心臓が跳ねる。舞台の上では一度も感じたことのない緊張を覚えながら、振り向いた先に、彼はいた。  落ち着いた雰囲気を帯びた大人の男性、というのがあかねの、男に対する第一印象だった。整えられた黒髪。柔和なダークブラウンの瞳。あかねよりも頭ひとつは高い長身は、よく鍛えられているようで、浮かび上がった胸板の厚さは男らしさを感じさせる。  芸能関係者が身近にいるあかねの目にも整った顔立ちは若く見えるものの、立ち振る舞いの落ち着き方からは、もっと年長者のようにも思えた。二十代の半ばから、三十代の前半だろうか。  フォーマルなわけでもなければ、軽薄な印象を受けるわけでもない。友人と会うときのようなラフな服装。歳の離れた親戚の男性のように思えるその距離感が、今のあかねにはありがたかった。 「あ、あの……」 「黒川あかねちゃん、だよね?」  確認するように、男が聞いてくる。人懐こい笑みがあかねの警戒心を解いた。 「はい……その……相談に乗ってくださってありがとうございます。それで……」  感謝の言葉を続けようとするあかねに、男は微笑みを向けてくる。 「こんなところで立ち話もなんだから、僕の行きつけの店に行こう。きっとあかねちゃんにも気に入ってもらえるよ」  男の言葉に、あかねは疑うこともなく頷いた。  あかねの中で、男の言葉は無条件に信用できるものとなっていた。 「しっかし、テレビや写真なんかよりよっぽど上物だなこりゃ」  笑みの混じった囁きは、駅前の雑踏に紛れてあかねの耳には届かなかった。  先導する男の頬に、邪悪な笑みが浮かんでいたことに、あかねは気付かない。  名前も知らない男について、あかねは夜の街へ進んでいく。  蟻地獄の奥へ、奥へと足取り軽く、進んでゆく。 *  男に連れられてやってきたのは、小洒落たバーだった。  入店するや、男が店内に向けて手を掲げると、カウンターの奥にいる店主が気軽にそれに応える。他に客はいないようで、店内にはジャンルもわからない異国の曲が流されている。  劇団員に連れられて、入った経験自体はあったものの、未成年のあかねにはどこか場違いなようで落ち着かなかった。しかし、 「ここは僕の行きつけでね。ここなら落ち着いて話せる」  男がそう告げただけで、慣れない場所への緊張はすぐになくなった。男の言葉は今のあかねにとって、まるでおまじないのようだった。  男は慣れた様子で席に着くと、あかねに隣の席を示す。  多少の緊張はありつつも「ほら」と男に促され、あかねは椅子に腰かけた。 「いらっしゃい」  カウンターの奥に立つのは恰幅の良い男性だった。父親と同じくらいの年齢だろう。柔和な笑みからは、いかにも接客業が天職とみえて、わずかに残った緊張も緩んでゆく。 「マスター。俺はいつもの。それと――」  そこまで言って、男はあかねの顔を覗き込んでくる。あかねの奥までを見透かすような視線に射貫かれて、とくん、と心臓が跳ねる。 「あかねちゃん、お酒飲んだことはある?」 「い、いえ……私、未成年なので……」 「今日くらいはいいじゃないか」 「で、でも、私……」  男の勧めを断るのは悪い、と思う気持ちもある。  しかし同時に、あかねの生来の生真面目さが未成年飲酒というルール違反に、強いブレーキをかけていた。 「あかねちゃん」  名前を呼ばれて、あかねは男へまっすぐと視線を向ける。 「俺はね、お酒っていうのは心を緩めるための薬だと思ってるんだ」 「心を……緩める……?」 「そうだ。子供にだってストレスがないなんて思わないけど、社会の中で生きる大人はもっとストレスだらけになる。そんな大人が色んなものを緩めて、吐き出すための薬。だから大人にだけアルコールが許されてるんだと思うんだ」  男の言葉は画面越しの文字だけでも、あかねの心に訴えてきた。  抑揚の付いた声色はさらに彩り鮮やかに、あかねの心に染み込む。 「君は同じ年代の子たちとは違う。大人と同じ現場に立って、仕事をしてる。大人以上にいろんなものを溜め込んじゃうだろう。それなのに君には吐き出す方法を与えられないんじゃ可哀想だ」 「でも、他の人たちは――」 「他の子は他の子、あかねちゃんはあかねちゃんだよ。ストレスを逃がしたり、気にしないようにできる子もいるけど、あかねちゃんみたいな性格の子はまっすぐに受け止めちゃうんだよ。だから、今日くらいはちょっとだけ自分に甘くなってもいいんじゃないかな」  ――この人は、自分を見てくれている。自分の言葉を聞いてくれる。  メッセージを通じて築かれた信頼が、あかねの警戒を解いてゆく。  いつもならば受け入れるはずのない言葉を受け入れさせてしまう。 「このままじゃ、あかねちゃんが壊れちゃうよ。お酒の力で気を緩めて、いろんな愚痴、聞かせてよ。俺で良ければなんでも聞くからさ。それとも、俺のこと信じられない?」  最後の一言がトドメだった。  炎上に次ぐ炎上。誰も自分の言葉を聞いてはくれず、聞こうともしない中で、彼だけはあかねを理解しようとして、理解してくれた。  そんな彼を信じられないはずがない。そんな彼を拒絶できるほど、今のあかねは強くはなかった。 「ありがとう……ございます……」  この人なら信じられる、この人になら吐き出せる。  ネットの上でのやり取りだけでも抱いていたその気持ちが、さらなる強固な確信へと変わる。  男の口端が緩み、視線はカウンターの向こうに立つバーテンダーへと向けられる。 「彼女、はじめてみたいだだから軽くて飲みやすいのを頼むよ、マスター」 「はいはい」 気安い口調で注文を受けて、バーテンダーが瓶から銀のシェイカーへと液体を注いでゆく。  蓋が閉じられ、バーテンがシェイカーを振りはじめる。金属製の容器と中の氷とがぶつかり合う音。タップダンスのステップにも似た響きを生み出すその動きは、合理的でありながら、パフォーマンス的でもあった。  しばしのパフォーマンスに目を奪われていると、音は止まり、用意されたグラスに赤い液体が注がれる。 「どうぞ、お嬢さん。お口に合うといいんですが」  どこか愛嬌のあるバーテンの笑顔に、あかねはグラスを受け取った。  さくらんぼの添えられた赤のカクテルは、店内の照明を受けて宝石のように輝く。 「えっと……」 「大丈夫だよ。それならはじめての女の子でも飲みやすいはずだから。俺を信じて」  ――信じて。  魔法のようなその言葉に、あかねはグラスを傾けた。 「は、はい……」  唇の隙間から、甘い果実の芳香が流れ込み、舌に触れてゆく。  覚悟していた苦味はやってこず、ジュースのような口当たりが口内に拡がった。  甘く、飲みやすいが、甘すぎるわけではない。 「どうかな? 口に合わないなら無理には――」 「いえ、その……美味しい、です。思ってたよりずっと飲みやすくて……」  世辞としてではなく、素直な感想としてあかねが告げると、男は少年のように無邪気な笑みを浮かべた。大人びた彼が浮かべるその表情は無防備で、不思議ととても魅力的に見えた。 「気に入ってもらえたならよかった。慣れてきたらもっと強かったり、クセのあるお酒に挑戦してみるのもいいけど、最初からクセのあるのを飲んで、お酒は苦手だって思い込んじゃうのは勿体ないからね」 「はい……お酒ってもっと、苦いものだと思ってました」 「今回のは度数も低いから、お酒とは言ってもほとんどジュースみたいなものだよ。飲みすぎだと思ったら止めるから、好きなだけ飲むといい」  言いながら、男は自分用に注文していたグラスを手に取り、傾ける。 「はい……ありがとうございます」  あかねもまた、男に礼を言って甘い果実酒を流し込んだ。 *  一杯目を空にした頃には既に、あかねは身体の火照りを感じていた。  もしかしたら自分は、酒に弱い体質なのかもしれない。父親が下戸であることを思い、そう感じるものの、頭痛や気持ちの悪さはなかった。  むしろふわふわと、浮かび上がるような心地よさ。 「あかねちゃん、大丈夫?」 「はぃ……えっと……はい、大丈夫です」 「そうじゃなくてさ」  男は、あかねを見ていた。あかねの心の中までも見透かされているようだった。  大丈夫か、という問いが示していたのは、酔い方の話ではなく、最近のあかね自身のこと。 「それは――」  思い返せば、彼は何度も、そう聞いてくれた。  今まではずっと、画面越しの無機質な言葉だった。  しかし今、同じ言葉を男らしくも甘さを帯びた声で囁くように問われると、それまで耐えてきたものが一気に溢れた。 「私……どうしたらいいのか、わからなくって……」  込み上げてきたものが、涙となって溢れ出して、止まらない。  男が手でバーテンダーに合図をすると、空になったグラスの代わりに新たなグラスが差し出される。 「イヤなことは忘れちゃえば良い。ほら、飲んで」 「はい……」  勧められるままに、あかねは再度、グラスを傾ける。  頭の中に心地良いモヤが拡がる。つらいことや苦しいこと、これまでどうしたところで逃れることのできなかったものが、頭の中から抜けてゆくように思えた。 *  入店してからもうどのくらい時間が経ったのか。  そう思って時計を見ると、まだ一時間も経っていない。  いつの間にか、あかねは自分が何杯飲んだのかもわからなくなっていた。  もし酒が苦かったり、口に合わなければ話は違ったかもしれない。  しかし差し出される酒はいずれも、酒であるとは言われなければ気付かないくらいに甘く、飲みやすく、ジュースのように喉を抜けて落ちてゆく。  飲めば飲むだけ頭の中のモヤは拡がり、イヤなことを忘れられた。  隣に彼がいることも、あかねの飲む勢いを助長していた。  自分は飲み慣れているから、飲みすぎだと思ったら止める。  その言葉を信じて、ブレーキを彼に完全に委ねていた。 「んっ……」  身体が――熱い。  最初の一杯を口にしたときから感じていた熱が、今は無視できないほど大きく、強くなっていた。  熱の源泉は、ヘソよりも下の、お腹の奥。  そこに何があるのかはわかる――子宮だ。  何故だかはわからない。お酒を飲むとそうなる体質なのかもしれない。  あかねは、発情していた。  普段のあかねは、決して性欲が強い方ではない。自慰なども月に一度もしないこともザラにある。それでも時折やってくるシたくなるときと比べても、今の火照りは桁が違った。  火照った肌から汗が溢れる。だがそれだけではない。スカートの中、ショーツには、自分自身から染み出した蜜がたっぷりと染み込んでいるのが、わかる。  こんなことは、はじめてだった。 「ねぇ、あかねちゃん」  甘い、甘い、優しい声。  囁きのような小さな声は、だというのにあかねの鼓膜を揺らし、頭の中で反響を繰り返す。  気がつくと、隣に座る彼を見ていた。  自分よりもひとまわり近く年上の彼。劇団で、そのくらいの歳の人とはいくらでも関わってきた。あかねに交際を申し込んできた人もいたし、その中には彼よりも容姿の整った人もいる。しかしそんな人たちには感じることのなかったものを、彼からは感じている。  この店に入るまで、彼に対して持っていたのは恋愛感情ではなく、相談に乗ってくれたことへの感謝と信頼だけだった。あるいは待ち合わせの場所にいたのが女性だったとして、安心こそすることはあってもそれをマイナスに受け取ることなどなかっただろう。  しかし今、あかねは間違いなく彼を男として、否――オスとして強く意識していた。  彼が軽く身じろぎするだけで、肌の下で脈動する血管や筋肉に視線が吸われる。  彼から漂ってくるオーデコロンの香りも、フェロモンのようにあかねを火照らせた。 「あかねちゃん」  彼の顔が近づいてくる。  周囲の音は聞こえない。  ドックンッ! ドックンッ! と、心臓の鼓動がうるさくて仕方なかった。  目と目が合う。微笑を帯びた彼の瞳には、蕩けた顔の黒川あかねが映っていた。  近づく。近づく。近づく。  このままでは触れてしまいそうな距離にまで近づいて――  ――あかねは、生まれてはじめてのキスをした。  唇同士が触れる。  彼の唇は温かかった。これまで封じ込めてきたあらゆる気持ちが、融けてゆく。  唇を割って、舌があかねの唇をノックした。その気になれば抗うことはできた。しかしあかねはそうしようとは思わなかったし、思えなかった。  閉じていた口をうっすら開き、彼の舌を自分の舌で迎え入れる。 「ん……ちゅっ……♥」  舌と舌とが絡み合う。はじめての経験ではあるものの、演技の上で知識としては持っていた。彼の舌と、あかねの舌とが、抱き合う恋人同士のように絡む。  あかねの飲んでいたものよりも強い酒を飲んでいた男の舌は、酒特有の苦味と匂いと、はじめて味わう異性の味がして、口の中に拡がってゆく。  それが、頭がおかしくなりそうなくらい気持ちいい。そう多くはない自慰の経験の、どれよりも舌と舌を絡め合うだけの行為が気持ち良かった。 「んっ……♥ ちゅっ♥ ぁっ……はぁっ♥」  貪る、という動作を、あかねははじめて行っていた。  ただ彼にされるだけではなくて、唾液を舐め取り、呑み込み、代わりに自身の唾液を送り込む、唾液の交換。自分が気持ちよくなるためだけではなく、彼に気持ちよくなってほしい。そんな奉仕の欲求も混じって、二人の口元は自分と互いの唾液にまみれてゆく。 「はっ……♥ んっ……♥ じゅるっ♥ あぁ……♥」  チリッ、と。火花が散る。  舌と舌が抱き合うたびに、その感覚が近づいてくる。切なさにふとももを擦ると、くちゅ、くちゅと卑猥な音。お気に入りのショーツは、見る必要もなくぐちょぐちょに湿っているのがわかった。 「んっ――んんっ、ん――――――――――――――――――っ♥」  あかねの奥で、光が弾けた。  今までに味わったそれらとはまるで違う、絶頂の甘い感覚が全身に拡がってゆく。  視界のすべてが白く染まって、黒く染まる。全身がビクビクと椅子の上で痙攣して、ショーツの染みはそれだけでは留まらずにスカートまで濡らしているのがわかった。  一瞬ではなく、線香花火のように、子宮の奥で快感が弾け続ける。  あかねが今まで味わってきたものとは違う、別のナニカ。  頭の中が蕩けるような、未知の快感。  恐ろしくすらあるその未知を、あかねは受け入れていた。 「んっ……ぁぁ……♥」  長い、長い口づけが終わる。  唇と唇、舌と舌とがゆっくりと離れてゆく。  水飴のように粘りを帯びた唾液が、名残惜しさを主張するように銀色の橋となって二人を繋ぎ、切れた。  絶頂の余韻が身体に残っている。まともな思考が紡げない。目の前はぐるぐると渦を巻いていて、自分が唾液で濡らした彼の顔しか映らない。 「はぁ……♥ はぁ……♥ あぁ……♥」  呆けた顔のあかねの前で、男はにぃ、と頬を吊り上げる。 「はじめてなのにちょっと飲みすぎちゃったかな?」 「え……ぁ……? は、ひ……?」 「マスター、奥の部屋使わせてもらうわ」  言って、彼はすぐに立ち上がる。手を引かれたあかねもまたそれに続いた。  酩酊感。しかしそれは酒だけのせいではなかった。はじめての口づけで味わった、空前絶後の快感ゆえだった。  握られた手は温かい。自分の手にはない硬さと逞しさは、子宮の熱に薪をくべる。 「おっと、大丈夫かい?」  ふらついたあかねの身体を、男が支え、抱き寄せる。 「ぁ……」  彼の手が胸に当たっていた。てのひらから鼓動が伝わってくる。頭は蕩け、身体はふわふわとしていて払い除けようという気にはなれなかった。 * 「さすが、巧いもんだ。未来ある若者を食い物にするなんて、悪い男だねぇ」  マスターが柔和な笑みの仮面の奥から、強いオスの欲望を剥き出しにする。  カウンターの下ではさぞや興奮で逸物を膨らませていることだろう。  いかにも初心で清楚な娘はマスターの好みそのものだからだ。 「堕としきる前にそういうコト言うなよ。今回はとびっきりの上玉なんだ。そんなしょうもない理由で逃がしちまったらどうすんだよ」  とはいえそんなことは万に一つもありえないだろう。 「ひひっ。まだ頭がまわってるくらいなら、連れ込まないだろ?」 「まぁな」  あんなカクテルを疑いもせずにガバガバと飲み続けて、頭がマトモにまわるはずがない。 「さっさと堕として、俺にも使わせてくれよ」 「わかってるって、いつもどおり、しつけが済んだら、な」 *  あかねは倒れそうになる身体を支えられながら、彼とマスターが語らうのを聞いていた。  耳に音は入ってくるが、二人が何を話しているのかはまわらない頭ではわからなかった。  ただ、彼の逞しい身体に寄り添う安心感だけがある。  ぐにゅり、と。彼の手が、あかねの胸のかたちを歪める。 「んっ……♥」  甘い、甘い官能。ふとももを蜜が伝っていくのがわかった。 「ほら、行こっか、あかねちゃん」 「は、い……」  彼に支えられたまま、あかねは奥の部屋へと進んでゆく。  きゅん、きゅんと、恋する乙女のように、子宮を高鳴らせながら。



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