【備忘録】「弱みを強みにする」という意識の高いハックを真面目に実践してみるコーナー
この間、実業家の同級生らに誘われてとあるワークショップに参加してきた。
といってもなにか技術的な体験会とかではなく、哲学的な視点から自分らしい生き方、ビジネスを創るためのグループディスカッション的なやつ。
字面の段階で意識高そうに見えるけど、私のような個人的な生き方を重視する人間にとっても割と有意義な内容だったので、ここ最近の思考の整理も兼ねて文章にしておこう。と急に思い立った。
一応作家として必要なマインドに言及する文章ではあるけど、誰もが日々の実務に役立てそうな思考ルーチンだと思う。
その日のワークショップの内容を雑にまとめると
・何事においても「弱点」を矯正するのはハイリスクローリターンである
・「弱み」はそのまま「強み」に置換できる(「弱み」が霧散する)
・というかこれをやらないと一生「自分らしさ」は見つからないし、生きてる実感が得られない
やはりどこかの啓発本で百万回は擦られてきたであろう字面である。
もちろんこの結論に至るまでにいろんな議論や論理を経ているのだが、あらためて私が書くとやけに胡散臭い。
とはいえ世の成功者、教育者みんなが口を揃えて同じようなマインドを提唱しているのだから、やっぱり重要な物の見方ではあるのだ。
なにより私がいままさに創作における自分の弱み強みについて苦悩している折、どこかでこういうことは真面目に考えなきゃならんのだ。多分。
私は大多数のクリエイターの例に漏れず、自分の描きたい物を描いて人に読ませたい欲求がある。同人作家で好きな創作だけをやってきちんと売れている人ならこれだけで万事OKなのだが、私の場合曲がりなりにも出版社を経由した商業作家として必死に飯を食っている身分なので、なにを売るにも「市場の需要」というものに合わせたアウトプットが不可避である。
ジャンル、コンプラレベル、美的感覚、こういったすべての価値基準が既存の市場に依存する。商業に携わる人たちは「いま現在流行っている作品にどれくらい近いか」で作品の良し悪しを決め、その市場価値にそぐわない部分はすべて「脆弱性」と判断する。これは画業だろうが飲食業だろうが同じだと思う。これは商業をやる以上どんな人でも避けられない。
で、なにが往々にして問題になるかというと、大抵の人はそうして他人に決められた弱点を無理やり矯正して既存の価値観にコミットさせようとする。
漫画市場で言えば、いま現在は絶対にハズレがないと言われている異世界ファンタジー小説のコミカライズ。とにかく数を打てば全部それなりに数字が稼げるということで出版社側も作画者を血眼で探している状態で、仕事にあぶれた漫画家の方々からすればありがたい状況でもある。私もそれで商業デビューさせてもらった身だし。
でも、じゃあそれで作家として満足しながら描いている人がどれだけいるかというと、みんな「ホントは違う作品描きたいけどお金のために仕方なく渋々描いてる」というケースがどうも多いらしい(的場調べ)。
私がコミカライズを担当させてもらった際は原作者さんに非常によくしていただいた経緯もあり、終始良い経験をさせてもらったと今でも感謝している。
残念ながら割と早期に打ち切りになっちゃったけど、ぶっちゃけお金も新人作家としてはあり得ないくらいのまとまった額をもらえた。お仕事としてはコミカライズは非常にありがたい機会なのである。
が、いまの連載が終わった後にまたコミカライズをやろうと思えるかというと、NOだ。お金には正直困り気味ではある。それでも、食うに困るレベルで切羽詰まらない限りはコミカライズの依頼は断るつもりでいる。というかすでに十数件は断っている。
理由は単純で、私自身が異世界ファンタジーにそこまで興味がないからだ。
前の担当編集さんいわく「的場さんコミカライズの適正ありますよ」とのことらしいが、好きじゃないものは長続きしない。前回のお仕事は原作者さんのお人柄+鬱要素多めなダークファンタジーという趣向が奇跡的に私に合っていたおかげで前向きに取り組めたけど、その後のお声がけで紹介された原作はことごとく私の趣味とかけ離れていた。
もし私がなんらかのコミカライズを引き受けたり、あるいはオリジナル異世界ファンタジーの企画を自分で創ろうとしたらどうなるだろうか。
まず当該ジャンルにおける必須項目は、
・主人公は必ずチート能力を授かり無双する
・主人公は必ずハーレム状態に巻き込まれる
・主人公はとにもかくにも周りに褒められおおきなストレスもなく生きていく
揶揄ではなく、ジャンルそのものに期待されるこれらの快感要素は異世界系の土俵において不可欠である。
では私の目指す創作における必須項目がなにかというと、
・主人公はなんの能力もない、むしろ平均よりどこか能力の劣った人間
・主人公は孤独である
・主人公はなにをするにも否定され、ストレスだらけの生きづらい日々を送っている
すべてが真逆なのであった。
『限界独身女子(26)ごはん』ではこれがモロに反映されている。
より厳密に言えば異世界ファンタジーの主人公もこうした苦境を抱えながら、それを異世界転生によって一瞬で脱した状態からスタートするわけだが、私が描きたいのは苦境を脱するまでの過程の方なのが致命的だ。スタートの段階で苦手分野に入ってしまっている。
では無理やり市場にコミットするために無双ハーレムの幸せチートスキルライフを描く術を研究し、自分の弱みを克服するのが正解なのか?
そのためには興味のわかない売れ筋コミカライズ作品を読み漁り、好きではないストーリー展開やキャラ描写を必死に真似て、より描きたい作品を我慢するストレスを抱えながら努力し続ける必要がある。
もちろんそうして得たスキルは後々無駄にはならない。自分自身の実績、糧にはなると思う。
が、そうまでして莫大なコストをかけながら弱点を補強し続けていれば、いずれは心身を壊してしまうかもしれない。そうでなくても、もともと異世界ファンタジーが好きで絵の上手な作画担当のついた別のコミカライズ企画が始まればどうなるだろうか。
よく考えなくても普通に負けるに決まっている。
同じようなことは誰かしら子供の頃に経験しているはずである。
苦手科目を必死に勉強して80点取れたと思ってたら、もともとその科目が得意なクラスメイトが100点取ってたり。
運動が苦手だから必死に走り込みを練習して100m走のタイムを0.3秒縮められたとおもったら、運動が得意なヤツが自分より2秒以上早く走っていたり。
「苦手意識があったけどやってみたら適性があったし好きになった」パターンもなくはない。だからとりあえず苦手なことでも挑戦してみるのはいい。
ただそういう弱点を無理に矯正して消そうとする試みは、辛いと感じたら即刻やめた方がいい。単純に極めて非効率的で非合理的だから。
私がまだアマチュア漫画家志望者だった時に、友人からよく「もっと流行の絵柄に寄せなきゃダメだ」と言われていた。
私は昔から美少女アニメキャラクターが好きなくせにハッチング多めな昭和風劇画タッチで描くというチグハグな癖があり、それがダサいと評されていたのだ。
いまの自分の好きな絵ではダメなのかと私も痛みいり、一時は線の細いシンプルなアニメやゲームキャラの絵柄を真似して必死に弱点を潰そうと努力したけど、結局は太めの線でハッチングを交えるいまの絵柄に戻ってしまった。いまでも絵のアップデートは続けてるけど、参考にした絵と同じ土俵で戦っても勝てるわけがない。コピーはオリジナルに勝てない。
「競うな 持ち味をイカせッッ」である。
そうした集積の上にある自分の絵をいま見ると、そんなに悪くない気がしている。読者さんや編集さんからも「絵が個性的で好き」という感想をいただくことが多いので、自惚れではないと思う。
いま次回作の企画をあれやこれやと考えている最中なのだけど、紆余曲折あって現在「デカ女×チビ男」のラブコメを描こうと思っている。
一般的な売れ筋基準でこの企画を練ろうとすると、「図体はデカいのにものすごく臆病で引っ込み思案な照れ屋の女の子」という王道ギャップ属性が思い浮かぶ人は少なくないだろう。私も嫌いじゃない。
でも好きじゃない。
そもそも私は女性らしくお淑やかで一歩後ろをついてくるタイプの女性は好きじゃない。一見お淑やかであっても我が強く、常に前に出てくる度量のあるキャラの方が圧倒的に好みである。
私は普通に「生物的に強い」女性が大好物なので、デカ女というと文字通り身長2m超えのマッチョな女性が好きなのである。
そうして出来上がったキャラデザがコレ⇩
友人にラブコメの企画を考えているといってこれを見せた瞬間の一言は
「は?」だった
誰がどう見てもバトル漫画のキャラだし、これが攻略可能なヒロインだと認識できる人はごく僅かだと思う。
前述のような気弱なヒロイン像の方が万人に受け入れられやすいであろうことは想像に難くない。
でも私はこういう子が好きなのである。
みんなが好きな控えめで献身的な優しいヒロインは出てこないのである。
そういう子を描くのはそういう子が好きな作家さんに任せれば良いのである。
私が描くよりよほど魅力的に描いてくれるだろうし、そういう作家さんが満たせない需要を私が満たすのである。
私ももう新人作家ではないし、自分の独自性というか強みというか、そういう部分を研いで売りにしていかないと数多の実力派作家さんたちの存在感の前に埋もれてしまう。たぶんもう埋もれている。
私はアニメでもゲームでも、人気投票で上位に選ばれるようなポップで可愛いキャラを、自分で描きたいと思うほど好きになれた試しがない。好きなのは大概イロモノ枠のキャラばかりで、共感してくれる友人も少数派。
ということは、少数派の需要を独占するチャンスがある。
ストーリーも気軽に読めてスカッとなれるような内容は苦手だ。「そんなに都合よく世の中は回ってない」と拒否反応が出てしまうから。
ということは、深いリアリティのあるドラマ、ストーリーを描く適性がある。
見た人を気持ち良くさせるような明るく理想的な世界も描けない。陽の当たらない場所で泥臭く生きてる者たちの世界が好きだから。
ということは、より身近な現実を泥臭く生きる人の心に刺さるような絵を描ける。
もちろん商業出版社で描かせてもらう場合はそこの経営戦略にある程度沿わなきゃならない。でもそれは自分の苦手分野とか趣味の合わない作風をがんばって取り入れるって意味じゃなく、自分の性質と市場価値の共通項を探るってことだ。
それができた途端、いままで弱点でしかなかった自分のダメな部分が一気に誰にも真似できない強い独自性に裏返る。
先のラブコメヒロインも、みんなも私も大好きな「恋愛に疎くて乙女な一面がある」っていうギャップを取り入れるつもり。そうすると一気に可愛く見えてくるよね。
見えてくるよね? 見えるって言え(強請)
「弱みを活かす」って文字にすると当たり前のことなんだけど、やっぱり多くの人が「自分の弱点は潰すべき」「いまある価値に合わせるべき」って方向にリソースを割きがちだと思う。
それを難なくできる能力がある人は別にいい。移り行く価値観を素直に楽しめるならそれは最高の能力だから。
でもたぶん、ほとんどの人は「自分の貴重な人生なのに、なんで他人が勝手に決めた価値に従って生きなきゃダメなんだろう」っていう、自他の乖離に悩んでると思う。
多数派の意見に沿っていればとりあえず、一時的に自分が安定するのは間違いない。
彼我の違いもそうすることで段々とわかってくる。
でも他人が決めた価値観はどこまでいっても砂上の楼閣で、自分が本当に役に立てる、充実できる選択は自分の素直な直感で選ばないとわからない。
けっきょく月並みな言葉にはなってしまうが、自分に素直に生きるのが一番自分らしく、自分の能力を発揮できる唯一の方法だ。
生きているといろんな幻想がそれを乱してくるし、私もどちらかというと流されやすいタイプだから一瞬べつの価値に触れてみること自体はいい経験になるのを知ってる。でもいろいろやってみて、最終的には自分の好き嫌いで決めていい。
自分の好き嫌い、得意不得意、そういうものの塊こそ他の誰にも真似できない唯一の偏りだから。
できない人の辛さはできない人にしかわからない。
そういう人からしか捻り出せない言葉や行動もある。
もうずっと昔から、誰かしらがどこかで言ってるセリフだよね。
成功者たちへの羨望や妬み嫉みに決着をつけるのは難しいけどね。
けどそういうグチャグチャの想いもひっくるめて呑み込んで引き連れて行けたなら、私たちはもう無敵だと思うんだ。
