小説 【入れ替わり・恋人同士】⑩

-目次- ・28.三日目-月曜日- ・29.彼女の体で通勤体験 ・30.女子会ランチ 28.三日目-月曜日- 入れ替わってから初めての平日の朝―― 澄んだ陽射しがカーテン越しに差し込んでくる。澪のワンルームには、いつもより早く目覚めた澪(精神は陽真)がいた。ベッドから抜け出し、薄手の女性用の澪のカーディガンを肩に羽織ると、彼は小さくあくびをしながら澪のクローゼットの前に立つ。 鏡の中に映る自分――いや、澪の身体。細くしなやかで、髪は寝癖のままでもどこか整って見える。女性らしい身体の感覚にも、だいぶ慣れ始めてきた。 引き出しを開け、薄い布地の純白の下着を手に取る。繊細なレースの感触。光に透かすと、その薄さがよくわかる。 「これ、可愛いな……♡」 澪(精神は陽真)はぽつりと呟きながら、履いていた下着を脱ぎ身体にその新たな下着を身に着け始めた。慣れない手つきではあるものの、無邪気で興奮気味の楽しさが動きの一つ一つに滲んでいる。数ヶ月付き合ってきた彼女の姿を間近で見てきたからこそ、自分がその身体を纏う不思議さと、その背徳的な甘美さに、どこか陶酔するような感覚があった。 「澪ってこういうの、履いてたんだ…♡」 ふと呟いて微笑む。新しい下着を試着するみたいに。女としての澪の生活を、そのままなぞることに、何とも言えない高揚感を覚えていた。 その後ろで、陽真(精神は澪)が、ベッドの縁に腰かけたまま、じっとその様子を見ていた。 「……ちょっと、私の下着見過ぎじゃない?」 小さく呟いた声は、静かな部屋に意外なほどはっきり響いた。 陽真(精神は澪)は、陽真の体にまだ馴染めていなかった。朝起きるたびに感じる、股間の異物感、広い肩幅、低い声、そして無骨な顔。鏡を見るたびに、自分の中の「女らしさ」が遠ざかっていくようで、どこか不安になった。 そんな陽真(精神は澪)にとって、元の自分の身体を嬉々として扱う澪(精神は陽真)の姿は、なんとも言えない感情を掻き立てた。恥ずかしさ、悔しさ、そして少しの屈辱感……。 「ほんとに、元の体に戻る気あるよね?…」 ゆっくりと立ち上がり、陽真(精神は澪)は元の自分の身体に向けて尋ねた。声は落ち着いているようでいて、胸の奥では焦燥が波打っていた。 澪(精神は陽真)はその問いかけに、挑発するように微笑みを返す。 「あるに決まってるだろ…♡。でも、今は……うまく言えないけど、楽しい。澪の世界を、体から感じられるって、貴重だと思うんだよね…♡」 彼が元に戻る気がないわけじゃないのは、わかる。だけど―― 「私は、早く元の体に戻りたいよ。やっぱり、落ち着かないし……」 低くなった陽真の声でそう言うのも、もう三日目だというのにまだ慣れなかった。けれど、陽真が澪の身体を受け入れていく一方で、陽真(精神は澪)はこの身体にいつまでも居場所を見いだせずにいた。 澪(精神は陽真)は表情を曇らせた。 「あと一週間はこの体のままなんだし、少しだけ楽しんでもいいんじゃない?♡」 陽真(精神は澪)は、俯いて小さくうなずいた。本心から納得していたわけじゃない。ただ、今は彼を否定する言葉が浮かばなかった。 窓の外では、車の音と鳥の声が混ざり合って、日常の気配が静かに流れていた。 陽真(精神は澪)は男性用の陽真のスーツの上着を手に取った。肩にかけると、その重さが妙に現実的だった。 「……そうだよね…。会社、行かなきゃ」 そう言って、背を向ける。窓の外を見ながら、陽真(精神は澪)は、ふっとため息をついた。 ――まだ始まったばかりの、一週間。 ふたりの中に生まれる小さな違和感と、少しずつ変わっていく距離感。 恋人として互いを知っていたはずのふたりが、今、新しい関係を歩み始めようとしていた。 29.彼女の体で通勤体験 朝の空気は少し蒸し始めていた。 二人は、ようやく着替えを終えて、澪のマンションの玄関に並んで立っていた。 「……行きたくない……」 ネクタイを指で引っ張りながら、陽真(精神は澪)が小さく呻いた。着慣れない男性用のワイシャツとスーツ。肩幅は広く、ズボンのウエストにはなぜか少し余裕がある。歩くたびに感じる股間の陰茎も、いちいち不快だった。 「うふっ♡そんなこと言わないの♡はるくん…スーツ、ちゃんと似合ってるわよ?♡」 そう言って笑ったのは澪(精神は陽真)だった。タイトなビジネスパンツに薄手のジャケット、女性らしいラインを引き立てる服装に、彼は完全に馴染んでいた。……いや、馴染みすぎていた。 その顔には明らかな興奮が浮かんでいて、視線はどこかうわついていた。 「ていうか、さっきから何、にやけてんの……」 「いやだって……女性用ビジネスパンツってすごいね♡ぴっちりしててエッチだし、股に何もない感じが、なんかこう……♡女性ってエッチだなって思うんだよ♡」 「“股に何もない”って、言い方がいやらしいのよ……!」 陽真(精神は澪)は思わず赤面した。自分の身体を、彼がそんな風に楽しんでいることに、どうしようもない羞恥心と、ほんの少し屈辱感が入り混じる。 「それに、このヒールの音……♡コツコツ鳴るの、なんか特別感あるんだよ♡オフィス街をカツカツ歩いてるOLの気分?♡似合ってるでしょ〜ん?♡」 「最低…。そんなこと、聞かないで……!」 陽真(精神は澪)は目を逸らした。自分の顔が、真っ赤になっているのが分かった。 自分の身体で、恋人がここまで堂々と女性用スーツを履き、歩き、そして――興奮している。 本当に変な状況だ、と思う。でも、それを咎めるだけの言葉が、もう浮かんでこなかった。 「うふふ、なんだかアタシ、お姉さんみたいな気分。はるまくん、ちゃんとついてきてね?♡」 「やめて、それ以上女っぽく話さないで……」 軽やかな足取りで歩く澪(精神は陽真)と、背中を丸めて渋々ついていく陽真(精神は澪)。 二人はそんな風にして、マンションの階段を下り、最寄り駅までの道を徒歩で歩いていた。 通勤ラッシュに向かう人波の中で、スーツ姿のカップルが並んで歩くのは珍しくなかった。けれど、その中身までは、誰も気づきはしない。 「ねぇねぇ、歩くたびにパンティが擦れるの、気持ちよくない? これ、クセになるかも……♡」 「もうやめて……お願いだから、そういうこと口に出さないで……!」 「大丈夫よぉ、陽真くん♡ 今日も一日、頑張りましょうね♡」 「私、そんな話し方しないから……!」 駅のホームが見えた頃には、陽真(精神は澪)はすっかり疲れ果てていた。 だが、その横で、ハイヒールを履いた元の自分の身体でにこにこと笑う澪(精神は陽真)を見ていると、複雑な気持ちになる。 ――この人、本当にどこまでもお気楽だ。 ――こんな状況でも、楽しめるなんて。 それは、たしかに少し悔しくて、でも、同時にちょっとだけ――羨ましかった。 電車のドアが開くと、押し寄せるような人波にふたりは自然と離れた。 朝のラッシュ。 二人の会社は同じ方面なので、同じ電車に乗った。いつものように、その後は人混みの流れに従い、お互いの会社の最寄り駅でお互い別々に降り、無言で別れる。しかし今日から一週間はそれぞれのお互いの会社の最寄り駅で降りることになる。 澪(精神は陽真)の手には女性もののビジネスバッグ。 女性用のパンツスーツに、軽やかなパンプス。 そして、自分のものとは思えないほど柔らかく揺れる、胸元の感触。 吊革を握ると、脇に腕を上げた姿勢で、ジャケットの下からほんのり漂う甘い柔軟剤の香りが鼻をくすぐった。 「俺、めっちゃOLじゃん……♡」 小さく呟く声は、自分の中から出たものなのに、まるで他人の声みたいに聞こえた。 それもそのはずだ。今、そこにいるのは27歳のOL――外見だけ見れば、完全に“澪”なのだから。 周囲から感じる視線にも、徐々に敏感になってきた。 斜め前に立つ若い営業マン風の男が、ちらりちらりとこちらを見ては視線を逸らす。その動きに、なんとなく気づいてしまう自分がいた。 「これって……普段、澪も感じてたんだろうな♡」 じわじわと足元からせり上がってくる、不思議な高揚感。 パンティがビジネスパンツの下で太ももにまとわりつく感触や、軽く揺れる髪、パンプスの感覚。 全部が新鮮で、どこか艶っぽかった。 会社の最寄駅に着いて、改札を抜けると、澪(精神は陽真)はふと自分の歩き方が気になった。 スーツのパンツが、足の動きに合わせてぴっちりと動く。自然と膝を揃えて歩くようになっていることに、本人も気づいていた。 「……ちゃんと“澪っぽく”歩けてるかな。なんか、女の人って大変だな……でも♡」 その「大変さ」に、どこかくすぐられるような感覚があった。 30.女子会ランチ 会社のエントランスに近づくにつれ、ガラス張りの壁に反射した自分の姿が目に入る。 そこに映っていたのは、見慣れてきた“恋人”――澪の姿。 けれど今、その中にいるのは陽真だ。 ピタリと体に沿ったスーツが、腰のラインを自然に描き、ビジネスパンツの裾が尻に触れていた。 「……うん、悪くないわね♡」 小さく呟いて微笑んだその瞬間、すぐ横からスーツ姿の男性社員が近づいてきた。 「あ、おはようございます、島村さん」 いつもと変わらぬ挨拶――のはずなのに、今はその一言が全身を通して響いた。 「……お、おはようございますっ」 少し裏返った声に、思わず赤面する。 (……やば、なんか“女として対応”しようとしてた……!) 心臓がドクンと跳ねた。 そうか、自分は今「女」として、社会に出ている。 見られること、聞かれること、接触されること――全部が、無防備なこの体のまま受け止めなければならない。 そのスリルと、軽い羞恥心とが混ざり合って、澪(精神は陽真)は身体の中で不思議な興奮がふつふつと沸き立っていた。 「……会社に着いただけなのに、なんでこんなにドキドキしてるんだ、俺……♡」 スーツの下に着けているブラジャーが、ふと背中に食い込む。 わずかな締めつけが、逆に「女として包まれている」ことを思い出させた。 そんな新しい世界の入り口で、陽真――いや、“澪(精神は陽真)”は、ふと笑みを浮かべた。 これはまだ、ほんの始まりだ。 これから一週間、自分はこの身体で、恋人の知らなかった日常を歩くことになる。 そして――その過程で、自分が何を感じるのか。 彼は、確かに楽しみにしていた。 午前の業務が終わり、午後になった。 午後の空気は、どこか緩やかで甘く感じた。 昼休みを告げるチャイムが鳴る直前、澪(精神は陽真)は、デスクの引き出しから小さなミラーを取り出して、髪の乱れをそっと整えていた。 そのとき、不意に肩を軽く叩かれた。 「澪っ。ねえ、ランチ行こ?」 ふわっと甘い香水の匂いが鼻先をくすぐる。振り向くと、笑顔で立っていたのは、一人の女性――佐々木 杏里だった。 パッと見て、すぐに“誰か”が分かったわけではなかったが、記憶の奥にある情報を整理すると、すぐに名前と結びついた。 (あ……この子が、杏里ちゃんか) 以前、何度か「一番気が合う同期」と元の澪が話していた子。 たしかに、そんな雰囲気があった。話しかける距離感も自然で、なによりその表情があたたかかった。 小柄で、目元が柔らかく、けれど口元にははっきりした意志のあるラインが見える。 髪は肩にかかるポニーテールで、耳元のピアスが小さく揺れていた。 ふとした仕草も、全部が“女の子らしさ”に溢れていた。 (澪の同期って、こんなに可愛かったのか……♡) 一瞬、そんなことを思ってしまった自分に、澪(精神は陽真)は心の中で軽く首を振った。 「うん、行こっか……♡」 声が少し上ずってしまったのを隠すように、微笑みながら立ち上がる。 近くのカフェ- 会社の並びにあるビルの1階、天井の高いカフェの窓際席に案内されると、杏里はすぐに腰を下ろしながらスカートの裾を直した。 澪(精神は陽真)もその向かいに座り、バッグをひざに乗せる。 「ね、聞いてよ澪~……。最近さ、部長の視線がほんっと嫌でさ」 杏里がストローでアイスティーをかき混ぜながら、ため息混じりに言った。 「え……? 部長って……?」 「ほら、あのハゲてるくせに“君の髪型、今日は特別いいね”とか言ってくる人」 「ああ……ああ、うん。あの人……」 澪(精神は陽真)は内心ドギマギしながら、曖昧にうなずいた。しかし、名前も部署もよくわからなかった。 「もうね、絶対胸見てるの。しゃがむとすぐ視線感じるし、コピーとってると後ろにぴったり立つし……ああいうの、ほんと無理」 「……へ、へぇ……そっか、怖いよね、そういうの……」 女の子特有の愚痴――男の自分には無縁だった世界の会話に、思わず背中が汗ばむ。 けれど、杏里の言葉が、決して大げさではないとわかってしまうのは、自分が「澪の身体」で実際に“視線を浴びる”経験をしたからだった。 「でもさ、澪もあるでしょ? 朝の通勤とか、オフィスでも、けっこう見られてるじゃん? スタイルいいし、今日のスーツとか、ウエストすごい細く見えるし」 「え……っ、そ、そう?」 とっさに胸元を押さえる。 その手の動きも、今の自分には“自然”に思えた。 それが逆に、ゾワリとする感覚を生む。 杏里の視線が自分の胸元に落ちて、再び目が合ったとき――心臓が跳ねた。 「ねぇ……下着、変えたでしょ? 今日ライン違う気がするんだけど」 「……え……」 返事が詰まる。 スーツの下から、わずかに浮かぶそのライン。女の子は、こんなところまで見てるのか。 「な、なんでわかるの……?」 「そりゃ、わかるよ。澪って意外と、見えないところでおしゃれするタイプでしょ?」 ストローを咥えた杏里が、茶目っ気たっぷりに目を細める。 その無邪気な視線が、今の澪(精神は陽真)には妙にくすぐったくて――性的にすら、感じてしまった。 (……なんか、俺、今……完全に“女”として話してる……♡) しかもその相手は、彼女の親友で、自分は初対面のはずの存在。 けれど、この心地よさ。興奮。刺激。 全部が、生まれて初めて触れる、女性の“世界”だった。 ふと、窓際の光が杏里の髪に反射して、頬に影を落とした。 その輪郭を見つめながら、澪(精神は陽真)は思った。 (……こんなふうに、女として他の女と並んでるって、なんか……不思議で、たまらなくドキドキする) スーツの下の身体が、ほんのり火照っている気がした。 その火照りが、布の向こうにある自分の「柔らかな感覚」をふと意識させてくる。 「……杏里、ってさ……可愛いね♡」 無意識に、そう呟いてしまっていた。 杏里は一瞬きょとんとし、それから小さく笑った。 「え? いきなりどしたの。そういうの、あんまり言わないじゃん、澪」 「そ、そう……かな……なんか、今日は言いたくなっただけ……」 「ふふ、ありがと」 その笑顔を見ながら、澪(精神は陽真)は――胸の奥が、熱くなっていくのを止められなかった。 その後、二人は適当にランチを注文して食事を済ませて会社に戻る準備を始めた。 「ちょっと、トイレ行かない? カフェ出る前に」 杏里がそう言って自然に腕を取ったのは、ごく普通のことなのだろう。 けれどその指先の柔らかさと、距離の近さに、澪(精神は陽真)は思わず体温が上がるのを感じていた。 (……女の子って、こんなに近いんだな♡) それは元の澪との会話でも知っていたことだけど、実際にこうして“女性の身体”で体験してみると、その距離の近さがいかに繊細で、柔らかく、そして“無防備”なものかを思い知らされた。 -続く-



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