少年の下着とはすなわち"善悪の知識の実"である
こんばんは、とえるです。
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さて、今回の記事ですが、一見すると何を言っているかわからないタイトルですが、多分最後まで読んでも何言ってるか分からないと思います。
私が伝えたいのは、インターネットに漂う胡乱な文章の意味を求めるのは無駄だということです。フィーリングでいいんだよフィーリングで。
というわけで今回の記事タイトルの解説を図説を交えてやっていきますが、「んなもんいいからイラストだけ見せろやボケ」という方はこちらのファイルをダウンロードしてください。文字無し差分も封入しております。
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0608_まとめ
では本題に入ります。
そもそも善悪の知識の実とは、旧約聖書の創世記において、アダムとエヴァが口にしたとされる禁断の果実のことです。その実を口にしたことによりアダムとエヴァはエデンの園を追われることになるわけですが、そんな重要アイテムをガキパンツと等置するなど敬虔なキリスト教徒に後ろからぐっさりやられても文句は言えません。内緒にしておいてくださいね(小声)
さすがの僕も何の突拍子もなくこんなことは言い出しません。ガキのパンツを同じ俎上に載せるだけの理屈は用意しています。
禁断の果実を口にしたアダムとエヴァは、己が裸であることに気づき、イチジクの葉で陰部を隠したとされています。知恵の実を口にしたことにより、二人は他者から眼差される客体として自分に気づき、「羞恥」という概念を獲得したということです。
察しのいい方は何が言いたいかおわかりでしょう。つまり「他者から眼差されることへの恥じらい」こそが、創世記の禁断の果実とガキのパンツを繋ぐ一本の、しかし太い線なのです。
ここからは図解を交えて解説していきます。パンツ以外の服を溶かすとっても都合のいい触手に捕まってしまったカナタくん。しかしこの状態はまだ「衣服を溶かされている」という事態そのものへの危機感を抱くに留まっており、自身が穿いているパンツに対して何ら疑いを持ってはいません。

しかし、服が溶けきりパンツ一丁の姿にひん剥かれ、触手を操っているであろうモブのおじさんに、自身の穿いているパンツが「お子ちゃま」であることを指摘され態度が一変します。客体として評価される己を自覚した彼は、それまで何の疑いもなく穿いていた白のブリーフに、それを疑わなかった自分自身に対し、激しい羞恥を覚えます。それまで「股間を覆う布」でしかなかった下着が、己の性的な未熟さの象徴であることに思い至るわけです。

だからこそ、パンツを脱がされ彼は、感情の昂ぶりを露わにします。
自身の未熟さの象徴であった白のブリーフは、逆に言えば未熟である自分を覆ってくれる最後の砦でもありました。それを剥ぎ取られ、もはやほとんど産まれたままの姿となった今、否が応でも自分の未熟な肉体と向き合わなくてはなりません。だからこそ彼は羞恥の涙を流すのです。

例えばこれが肉親に下着姿を見られた、というシチュエーションであるならば、こんなにも恥ずかしがりはしないでしょう。何故なら幼い子供にとっての家族とは、未熟な自我をありのまま受け入れてくれる存在だからです。しかし、今対峙しているのは他者であり、自分を容赦なく俯瞰で評価する存在です。
パンツを揶揄され、性的な自分が評価されることを「知って」しまった彼は、畢竟自身を客観的に評価せざるを得なくなります。毛も生えておらず、包皮を被った陰茎が、男の言葉によっていかにオスとして未熟であるかを思い知らされ、芽生えたばかりの自我を深く傷つけることになります。だからこそ彼は、もはや「見るな」と泣き叫ぶことしかできない訳です。
……長々と語ってきましたが、ここまで来ればもうおわかりでしょう。創世記でアダムとエヴァが羞恥を獲得したプロセスが、この一連の流れに含まれています。
エヴァを誘惑した蛇がこの一連のイラストの中のモブのおじさんであり、蛇が食べるように唆した「善悪の知識の実」に対応するのが、モブのおじさんに揶揄された白ブリーフなのです。
……とまぁこじつけ全開で語ってみましたがいかがだったでしょうか?「んなわけあるかよボケ」とかツッコミながら笑って貰えたのならうれしいです。
(ここからは単なる自分語りですので読まなくても大丈夫です)
真面目な話になるのですが、ここで重要なのはこの論が導いた結論そのものより、それを導くまでの思考にあります。
僕はとにかく「ブリーフを見られて恥ずかしがっているガキ」に尋常でない興奮を覚えるのですが、その感情の源泉がいったいどこからやって来るのか?というのを考えた結果、今回の結論に至りました。つまり、「未熟な少年が、他者に眼差されることを自覚し、自身の未熟さに羞恥」するというシチュエーションこそが、その源泉なのです。
僕にとっての性欲はすなわち「創作意欲」とイコールで結ばれており、自分の創作欲がいったいどこから湧いてきているのか、それを探るには大変有意義でした。
創作をしない方にとってもそれは同じ。たかが性欲と言いますが、こんなニッチな性癖の中で生きていくには、できるだけ自分の好みのピントに合ったコンテンツを摂取したいですよね。であるならば、こんな感じで自分が感じている「萌え」の感情を微分してみるのもいいかもしれませんよ。
ちなみに上で散々「恥じらうのがいいんだよ!!」とか言ってますが「こーいうガキパンツがいいんだろ?♡」みたいな感じで迫って来るオスガキは普通に滅茶苦茶興奮します。わからせてえ
