『淫獣捜査 隷辱の魔罠』 第91話
目的の店を目の前にして、俺は周囲に目を向ける。五時もまわり、店は開き、人も増える時間帯だ。狭い横丁には愉しそうにはしゃぐ学生の集団や仕事帰りのサラリーマンたちが次々と流れこんでくる。 目について怪しそうな人物がいないのを確認する。一応は、警戒して仕事帰りのサラリーマンたちに紛れてきたわけだが、そのお陰でこれまでに警察官に声を掛けられてはいない。 駅の改札前で待機している警察官がいてドキッとさせられたが、玲央奈が言うように堂々としてたお陰で、何事もなく通り抜けられていた。 ペアルックで腕を組んで歩く姿も、都心に近くほどに目立たなくなっている。気になる視線を向けてくる者ももういなかった。 (案外、気付かれないものだな……しかし、俺と玲央奈は、傍からはどう見えているのだろうか?) 少し気になるが、知ってしまうと余計ないダメージを食らいそうな気がする。不意に写真を撮られることだけに気をつけて、ひとまずは細かいことは心の片隅に押しやっておくことにする。 「マスター?」 「あぁ、悪い。さぁ、入ろうか」 店の前で立ち止まっていた俺に、玲央奈がギュッと手を握ってくる。流石に緊張をしているだろう。だが、彼女はニッと不敵に笑ってみせる。 気丈に振舞うその姿が俺の気持ちを奮い立たせてくれる。覚悟を決めて扉を開ければ、こじんまりとした店内の様子が飛び込んできた。 「あーら、いらっしゃい」 間延びした野太い声が俺を出迎える。奥へと伸びるカウンター席があるだけの細長い店だ。カウンターに立っているのは筋肉隆々の大男、その体格とは対照的に化粧が濃い。パープルのアイシャドウを引いた瞼を閉じてウィンクを投げてくる。 それに少したじろぐが、客らしき人物にも目を向ける。カウンター席に座るのは四人の男。パンク姿の欧米人、角刈りで仏頂面のアジア系、パンチパーマの黒人にトレッドヘアのラテン系と国際色が豊かな客層だ。 それぞれが異なる酒を手にして、黙々とグラスを傾けている。 俺と玲央奈が足を踏み入れた一瞬だけ彼らが殺伐とした視線を向けてきたが、すぐに興味を無くしたように自分の世界へと帰っていった。 (なんなんだ、この店は……) 店主の趣味なのだろう、店内に置かれたレコード盤からジャズが流れている。 だが、彼らがそれを趣味にして耳を傾けているようには感じられない。なにか異様な空気を、その場には感じさせられる。 「初めてよねぇ、好きな席に座っていいわよぉ」 ピンクのエプロン姿が絶望的に似合っていない店主が、妙に艶めかしい仕草をしながら声をかけてくれたことで、どうにか空気に飲まれずにすんだ。 俺は気を取り直すと、懐へと手を伸ばして、あるものを取り出す。 「その前にこれを……」 手にしたのは八祥さんから手渡された店のカードだ。それを目にした途端、店主の目が一瞬だけ鋭くなる。やはり、このカード自体がなにかの証になっていたようだ。店の奥へと行くように黙って指で指示する。 俺は玲央奈を連れて、背を向ける客たちの後ろを通り奥へと進む。仕切り板で遮られた空間には四人がけのテーブル席が置かれていた。 残念ながら目的の人物はそこにはいなかった。無人の席を前にして、肩透かしを食らった気分になる。 (まぁ、そうスンナリとはいかないか……) 八祥さんと連絡を取り合っていたわけでもない訳で、彼と接触できれば儲けもの程度に考えるべきだろう。 気を取り直して席に座れば、先ほどの店主が顔を出してくる。 「ごめんなさいねぇ、八祥ちゃんは不在なのよ」 どうやら、俺の来訪は予想されていたようだ。その事に少しホッさせられる。少しは俺のことを気にしてくれているとわかったからだ。 正直、彼の立ち位置は不鮮明だ。紫堂の配下ではあるが、あのナナさんとも通じている風でもあった。彼の身にまとう空気からは、紫堂の配下とは違う気配を感じさせられた。 だからこそ、事態を切り開くことができるのではないかと、彼に接触をはかっているのだ。 そんな事を考えていると、目の前には外国産の酒瓶が無造作に置かれた。栓を抜かれ瓶がふたつ、それぞれにカットされたライムが添えられる。 「まぁ、これでも飲んで待っててよ」 マッチョな店主が差し出したのはテキーラだ。メキシコの蒸留酒で、確かアルコール度数が四十度前後と高めの酒だ。同僚に連れられてタコスを食べに行ったとき、一度だけ飲んだことがある。 (確か、こう飲むんだったよな……) その時に教わったことを思い出して、ライムを手にとる。それを口に咥えて果汁を絞るように噛りる。すると、口の中には酸味が広がるわけだが、それが消えぬうちにテキーラをグイと流し込む。 キンキンに冷えていた液体が緊張で乾いていた喉を潤してくれる。だが、すぐに高いアルコールによって、喉がカッと焼かれたようになる。 はじめて飲んだ時は咽かえり、同僚に散々に笑われたものだった。その失敗のおかげで、今回は上手くやり過ごすことができた。 「ぷはッ、くぅ〜」 「あらぁ、いい呑みっぷりね」 飲む合間に指の間に持った塩を舐めるらしいが、俺はなしでいただく。グビグビと残りも豪快に飲んでみせると、店主は口紅が塗られた厚い唇を綻ばせて嬉しそうにしていた。 俺の飲みぷりを隣で見ていた玲央奈も、ゴクリと喉を鳴らしている。ソロリともうひとつの瓶へと手を伸ばそうとするのを俺は静止する。 「むぅ、大丈夫なのに……」 少し不服そう反応をするの可愛いが、代わりに軽めのカクテルがないか店主に尋ねる。慣れない強い酒で酔ってしまっては、不測の事態に対応できないだろう。それに、歌姫である彼女には、できれば喉を労わって欲しいと思ったのも大きい。 勝手な想いだが、それを彼女に伝えると、不承不承といった様子で受け入れてくれる。とはいえ、なにか一方的にダメだというのは良くはないだろう。 「落ち着いた頃になら、少し試してみるか?」 「本当ッ!? 言ったよね、約束だからねッ」 頬を膨らませる玲央奈をなだめる為に出た言葉だったが、予想以上に食いついてきた。よほどテキーラを飲みたかったのだろう。小指を突き出して、指切りまでさせられた。 「さぁ、これで、もし約束を破ったらハリセンボンを食べさせられちゃうんだからね」 「あぁ、そうだが、よく指切りなんて知ってるな……ん? でも、なんかイントネーションが少し変じゃないか?」 海外生まれのわりに知っているのを関心してみせたから得意げにしている玲央奈だが、すこし気になって詳しく説明をさせてみれば針千本ではなく、ハリセンボン――フグ目の魚の方だと彼女が思っていたのが判明する。 どうやら、勘違いしている彼女を面白がり、周囲がそのまま放置していたようだ。俺の説明を受けて、事実を知った彼女は愕然としていた。 自信満々に語っていただけに、反動の恥ずかしさも大きいようだ。真っ赤になった顔を両手で隠している席で丸くなっている。 その一連の流れを見ていた店主はついに耐え切れなくなったようだ。吹き出して、シックスパックに割れた腹を抱えて身体を震わせている。 「あーッ、笑ったわぁ。もぅ、八祥ちゃんから来客を告げられた時は、どんな厳つい野郎がくるかと身構えていたけど、こーんな可愛らしいカップルなんて嬉しい限りだわ」 「本当ッ!? 本当にカップルに見える? そうかぁ、エヘヘ、しょうがないなぁ……」 恥かしさで丸くなっていた玲央奈が、店主の言葉に顔をあげる。なにやらニヤけて、デレデレしはじめる。 (今日はいつになくコロコロと表情が変わるな……まぁ、大人びたアイドル姿よりも、こっちの方が俺的には親しみが湧くな) 年相応の姿を見れて俺の方も嬉しくなる。どうやら店主とは意気投合したようで、店を放ったらかしにして二人で熱い女子トークをはじめだしていた。 砕けた口調で言葉を交わし、メニューにないデザートを頬張りながらアレコレと熱く語り合う。ジェネレーションギャップを感じる内容に、早々に俺はついていけなくなる。 (やれやれ……) 苦笑いしつつも、店の異様な雰囲気に呑まれかけた状況から、ひとまずは良好な関係を築けたようで安堵する。 八祥さんを待つにも手持無沙汰になった俺は、余っていたもう一本のテキーラに手を伸ばしなががら端末を取り出す。 情報確認のためにニュースを一通り確認したが、事件の方には特に大きな進展はないようだ。 そして、念のためにもう一つの端末――イクさんから手渡された紫堂の端末を確認して、俺は表情を強張らせることになる。 新たなメッセージが届いていたのだ。送り主は、当然のように紫堂だ。メッセージには、動画のファイルが添付されているのを確認したところで、手が止まってしまう。 「……マスター、大丈夫ですか?」 俺に異変に気づき、手元の端末の覗いて状況を理解してくれる。心配そうに握ってくれる玲央奈の手を握り返す。 「あぁ、大丈夫だ」 「見るんだったら、私は席を外してた方がいいわね」 場の空気を読んだ店主が席を離れてくれる。それを確認すると、俺は動画を再生するのだった。 やはり、再生された映像には涼子さんの姿があった。 電話ボックスほどの空間に立たされた彼女を上から見下ろしている構図だ。 彼女はアームバインダーによって後ろ手に拘束されていた。裸体には黒革のハーネスが複雑に巻きついてギリギリと締め上げている。上からだと根元から絞り出された乳房が異様にボリュームを増しているのがわかる。 彼女の身体が不安定そうに揺れているのは、履かされているシューズの形状のためだ。バレーシューズのように爪先立ちを強要する形状をしており、安定して立っていることができないのだ。 もし倒れ込んでしまったら、首輪から四方に伸びる鎖によって、喉が絞められてしまうだろう。 乱れた前髪の合間からは見上げる彼女の顔が確認できた。口に噛まされたボールギャグ、そのベルトが頬に強く食い込んでいる。ダラダラと樹脂ボールの穴から唾液をたらし続けているのだが、その目はギッとこちらを見つめている。 恐らく紫堂へと睨みを利かしているのだろう。拘束された囚われの身でありながら、久々に見る闘志を宿した彼女の活きた姿に俺は救われた。 「涼子さん……」 奴隷の焼き印を刻まれ、乳首をリングピアスが貫こうとも悪を憎む彼女を変えられなかった。そのことを確認できて、俺は涙を浮かべるほど嬉しかった。 感慨深げに画面を見つめていた俺だが、スピーカーから紫堂の声が話しかけてきた。 『やぁ、昨夜はグッスリと眠れたかな? 見ての通り、アレは元気だよ。あれだけの事を体験すれば大概は壊れるんだがね……』 呆れとも称賛ともとれる口調だが、ひとつ確かなのは、彼がこの状況を愉しんでいることだろう。 それが涼子さんをさらに嬲れることを意味しているのか、それとも俺とのゲームを盛り上げられるのが嬉しいのか。もしかしたら、両方かもしれない。 『そんな訳で、見事、耐えてみせたことに敬意を表してご褒美を与えようと思ってね』 『――ふぐぅ!?』 画面に映る涼子さんに動揺が見えた。彼女の足元から緑色をした液体が噴き出して、みるみると水位を上げ始めたのだ。 すでに腰まで漬かり、胸元まで来ても止まらない。後ろ手に拘束された彼女は首輪の鎖で行動制限を大きく受けている。立ち泳ぎするのは、まず無理だろう。 そうしている間にも、水面は顎の下まで到達していた。 「や、やめろッ」 録画された映像に叫んでも意味はないが、それでも叫ばないわけにもいかなかった。 その想いが通した訳ではないだろうが、ピタリと水位の上昇が止まった。 顎を上げた状態で、どうにか溺れずにいるような位置だ。足元がおぼつかず、少し体勢が崩れただけで口元に液体が入り込む。 『ゴホッ、ゴホッ――ふーぅッ、ふーぅッ……』 液体を呑み込んで激しく咳込んでしまう。それが更にバランスを崩すのを誘発してしまった。ボールギャクを噛まされた状態では口を閉じられず、どうしても飲んでしまう。どうにか体制を整えるまでに、随分な量の液体を彼女は呑み込んでしまったようだ。 (この液体は、なんだ?) 紫堂のことだから、ただの色付けした水ではあり得ないだろう。彼女が身じろぎするたびに、水面へと上がる細かい気泡が俺の記憶を呼び覚ます。 (まさか……この液体は!?) 浮かび上がった疑問に、紫堂の声が答え合わせをしてくれた。 『どうだい? そろそろ気付いたかな? キミも随分と気に入ってたとナナから聞いているよ』 「……やはり、アペルタか」 それは秘密倶楽部への向かうリムジンの中で、ナナさんが用意してくれたカクテルの名だった。 カクテルグラスに注がれたエメラルドグリーン色の液体、規模は異なるが、涼子さんが溺れかけているのは、まさしくあのカクテルと同じ色の液体だった。 『アペルタとはイタリア語で「開かれる」という意味だが、キミもいろいろと開化しただろう?』 そう言って紫堂はカクテルの正体を語り出した。 彼が傘下に持っている医薬会社では様々な新薬の開発が行われている。その中には市場には流せないような効果を持つものも発見されるようだ。 元となったのは、南米で発見された花らしく、それを煎じたものを現地のシャーマンが儀式と医療に活用していたものだ。 効能としては媚薬としての効果と、精強と強心効果、そして高揚感とともに少しばかり理性のタガを外してくれるというのだ。 確かに、それを飲んでから急な潜入捜査で激しく緊張していた心が嘘のように落ち着いた。その後も目にした異常な状況にも、すぐに適応してすんなりと受け入れられてしまっていた。 「てっきり、俺の肝が据わったせいだと思っていた……それも、すべてはカクテルの効果だったというのか?」 予想外な方向からの揺さぶりを受けて、俺は足元を崩された気分になってしまう。 それを支えてくれたのは玲央奈だった。俺の頬を掴むと真摯な表情で向かい合う。 「それは違います。それなら、私を助けたマスターの決断はなんだったんですか?」 玲央奈の言葉は俺に強く響いてくれた。確かに彼女の言うとおりだ。仮に切っ掛けがカクテルの効果だとして、その後の行動は俺が決めたものだ。少なくとも玲央奈を助けると決めた時の俺は葛藤して、悩んだ上での決断だった。そこに、カクテルは関係することはないはずだ。 画面を見つめれば、溺れそうになりつつも涼子さんの瞳には絶望はない。紫堂は俺とのゲームを愉しむために、彼女を殺さないと分かっているからだ。 (あぁ、そうだね、涼子さん) 決めたことに盲目なほどに直進し、諦めが悪いのが涼子さんの強みだ。その結果、長く慕っていた兄貴を振り向かせて、ついに結婚までしてみせた女性だ。 そんな彼女に憧れ、自分のモノにするとまで宣言した俺が簡単に折れなどいられない。 「ふぅ……」 瞼を閉じて深呼吸を繰り返し、俺は心を落ち着かせる。そうして、いつものように自分を俯瞰することで渦巻く感情を切り離してコントロールしてみせる。 「……ありがとう、もう、大丈夫だよ……」 涙目になっている玲央奈に微笑み、その頭を撫でてあげる。 期待と違い、子ども扱いな対応に微妙な顔をした彼女だが、すぐに目を気持ちよさそうに目を細めていた。 『まぁ、煽ってはみたが、これで折れてくれるなよ? アレは、しばらくカクテル漬けにしておく、次の映像は愉しみにしておいてくれよ』 そう言って映像は終了した。どうやら、俺が紫堂の元までたどり着くまで映像は送られてくるようだ。 俺と涼子さんのどちらかの心が折れてしまう前に、見事、到着してみせろという彼のメッセージなのだろう。 俺はともなく涼子さんへの負担が圧倒的に大きい。少しでも早く紫堂の居場所を探し出す必要がある。 「そのためにも……」 情報屋として裏の世界で一目置かれている八祥さんの協力が不可欠だ。そのためにも、彼に会う必要があってここで待っている。 だが、到着してそれなりに時間が経過しているが、彼が現れる気配はなかった。 不安と苛立ちを感じ始めた頃、俺の端末の方にメッセージが届いた。 ――そこから逃げろ 差出人不明のメッセージには、そう書かれていた。その直後、店の入り口の方が急に騒がしくなった。 怒声が響き、物が壊れるような物騒な音が聴こえてくる。仕切り板の影から覗けば、あきらかにヤクザ者とわかる連中が、殺気だって店へと入ろうとしているところだった。
